村上春樹 ノルウェイの森 読評

まず、簡単に

 

 このブログを書いた目的として「斉藤孝の速読塾」(ちくま文庫)を読んだことがきっかけにあります。

 

 その中で、斉藤孝先生はこんなことをおっしゃっています。

 

”本を読むとき必ず「読んだ後、書評を人に言うのだ!」と思って読んでいます”

 

 実際、先生は友人と読んだ本を紹介し合う読書会なるものを毎週開いていたそうです。

 誰かに書評をすると思って、読むと頭の回転が速くなり、理解力が高まる、ともおっしゃっています。

 この本は、非常にためになりました。本にあることを少し実践してみたら、200P越えの本を一時間足らずで読み切ってしまえました。これはオドロキ!

 

 さて、そこで、私は考えました。

 

 じゃあ、実際に書評、書いちゃえばいいじゃん。

 理解力、欲しいです。

 

 そういうヨコシマな気持ちで一念発起したこの企画は、ただの自己満です。

 私には好きな本について本気で話し合える友人が一人もおりません。

 ホントに今の人って本読まないんだよね。読む人もいるけど、純恋愛ものかミステリーものが多い。

 もちろん、私も昔はそういうの好きでしたが、今じゃつまらないなって思います。

 

 よって、書評をブログに書こうと決めました。ブログなら友人とか関係ない。もしかしたら誰かに見てもらえるかもしれない。

 でも、これは自分のために書いています。誰かのためじゃない。

 

 だから、気に入らなければ読まなくて結構です。

 短く、分かりやすく、書評を書こうとするのは自己鍛錬のためなのです。気に入らなければ、読まなくて構いません。

 ただ、叱咤激励、罵詈雑言、ウェルカムです。文体否定、人格否定、人種否定、何でもゴザレ。

 すべて私の糧にしてやりましょう。

 

 長くなりましたね。本題に入りましょう。ちなみにネタバレはガンガンします。お気をつけて。

 

 

 

 ノルウェイの森。上下巻ともにすぐに読み切りました。いやぁ非常に良い作品。

 これが、村上春樹を大作家に押し上げた作品だとお聞きしましたが、納得。

 ちなみに、私は村上春樹作品を網羅しているわけではありませんが、同氏の「アンダーグラウンド」は素晴らしい。特に2はコモンセンスを揺さぶられる傑作。

 

 閑話休題

 本著に見られる、村上氏の慧眼と洞察の深さには恐れ入った。

 社会について、人間について、こうも深い思慮ができる人はそうはいない。

 

 具体的にどこか。引用しましょう。

 

 

下巻(講談社文庫、P37)

~阿美寮から帰ってきた(一回目)主人公がアルバイトで働いているシーン~

 店の斜め向かい側の路地では酒を飲みすぎた学生が反吐を吐いていた。筋向いのゲームセンターでは近所の料理店のコックが現金を掛けたビンゴゲームをやって休憩時間をつぶしていた。どす黒い顔をした浮浪者が閉まった店の軒先にじっと身動きひとつせずにうずくまっていた。(中略)十五分おきに救急車だかパトカーだかのサイレンが聞こえた。みんな同じくらい酔っ払った三人連れのサラリーマンが公衆電話をかけている髪の長い綺麗な女の子に向かって何度もオマンコと叫んで笑いあっていた。

 そんな光景を見ていると、僕はだんだん頭が混乱して、なにがなんだかわからなくなってきた。いったいこれは何なのだろう、と僕は思った。いったいこれらの光景はみんな何を意味しているのだろう、と。

 

 

 

 夜中の繁華街、こういう風景ってよくありますよね。

 でも、意味わかんなくないですか?

 馬鹿すぎますよね?

 どうせ吐くのに無理してお酒飲んで他人に迷惑かけて、別に面白くもない、ただのセクハラである隠語を知らない人に叫びまくる。

 本当につまらないですよね。クソつまらない。

 これが人ですか?

 何のために義務教育をして、何のために知性を付けたんですか?

 でも、人間ってこうなんですよ。水が低いところに流れるように、人は落ちるところまで落ちていくんです。

 大人と言っても、図体だけ成長して中身の伴ってない人が多い。そういう人たちが、子供に「大人だから。」っていうんですよ。私はその人らに聞きたい。

 

「大人って何ですか。」

 

 はい、社会っておかしいんですよ。

 村上氏がすごいのはこのおかしさを的確に捉えているところ。

 これに明確に気づける人間って少ないんじゃないかな。

 なぜなら、こういう感覚は、私たちが子供の頃から植え付けられた認識みたいので、普通に過ごしていたら、まず気づけないから。

 

 そうですね。例えば、ヒーローは一般市民は傷つけちゃいけないけど、悪いやつは傷つけたり殺してもいいって考え方ありますよね。

 でも、それっておかしくないですか。

 相手が悪いやつなら人殺しは正義?矛盾してません?

 そもそも悪いやつって誰が決めるの?ていうか「悪」って何?

 

 そうした自分勝手な義憤に駆られた人たちが世の中で色々問題を起こすわけですが……。

 この話は書評とは無関係ですね。飛ばしましょう。

 

 

 だから、この文章を見たとき、ビビッと感じました。

 

「こいつ、わかってる。」

 

 主人公の口癖がやけにやれやれと言ったり、何回射精したりしてるのは、まぁ些事でしょう。

 おそらく、それは村上氏の文体みたいなものでしょう。「1Q84 」でも似たような感じだったと覚えています。

 

 

あと、もうひとつ、すごいと思ったところを挙げます。

 

 

下巻(P226)

~直子自殺後の主人公の回想シーン~

 「死は生の対極にあるのではなく、我々の生のうちに潜んでいるのだ」

 たしかにそれは真実であった。我々は生きることによって同時に死を育んでいるのだ。しかしそれは我々が学ばねばならない真理の一部でしかなかった。(中略)どのような真理をもってしても、愛するものをなくした哀しみを癒すことはできないのだ。(中略)我々はその哀しみを哀しみ抜いて、そこから何かを学び取ることしかできないし、その学び取った何かも、次にやってくる予期せぬ哀しみに対しては何の役にも立たないのだ。

 

 

 これは一種の人生観の到達点です。

 人はどんなに頑張っても時の流れには無力なのです。

 とても弱い生き物。

 諦観するしかないのです。本著に流れる静かな冷たい雰囲気はの正体は恐らく諦観なのでしょう。

 

 ちなみにこれは、大学の講義での受け売りです。私の言葉ではありません。でも、とても面白い解釈だったので、使わせていただきました。

 

 さて、以上が私が「ノルウェイの森」への書評です。

 あらすじとか全く書いていませんが、別にこれでいいでしょう。ただ、先ほどの引用では思いっきりネタバレしていますが、それでこの本の魅力が損なわれることは一切ありません。

 一読の価値、あり。

 

 あぁ超満足。

 失礼します。